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さくら様

 投稿者:HP執行部 副管理人  投稿日:2017年 2月28日(火)17時08分3秒
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  はじめまして。

脱会相談館にようこそ。

とは言うも、さくら様はすでに脱会されておりますね。

もし、よろしければ、脱会された原因などお教え頂ければと思います。

見れば元女子部との事。

ちなみに私は元男子部です。

ご質問の件、具(つぶ)さに拝見致しました。

己心の本尊。

私も昔、よくその事を言われました。

対面する御本尊の他に、自分の中にも御本尊がある。

又は、御本尊とは己心の本尊の事である。

更には、御本尊の仏力・法力は、己心の仏性に具わっている等々。

しかしどれも間違いです。

御本尊はあくまでも御本尊であり、己心の本尊などはありません。

己心に具わるは十界の心性であり、其の中に仏性がある、という事です。

しかもその仏性は、御本尊の御力によって顕現する、という事です。

もとより、そのための勤行であり唱題である、という事です。

日蓮大聖人に曰く『我則ち仏、我既に解(さと)りたりと云ふとも経論に依らずば悟りにも
あらず、心法にもあらず仏法にもあらず』と。

もとより、御文中の「経論」とは法華経の事であり、法華経の根幹は御本尊なのでありますから、
御本尊の御力に依らなければ悟りともならず、それこそは仏法でもない、と大聖人は仰せになって
おられます。

又、創価学会第二代会長の戸田先生は、次のように指導されています。

『本尊とは全く他所に求むべきではなくて、自分自身が本尊であり、お題目を唱えるものは等しく
地涌の菩薩であって、仏(日蓮大聖人)とも変わりがないと考えることは、重大な増上慢の極みであり、
大謗法である』と。(『戸田城聖全集』第3巻65頁)

迷える自分がそこに居る。

だから御本尊に祈る。

すると、日蓮大聖人の御魂魄が、自分の心性に入って来る。

つまりは、御本尊の御力と己心の仏性が冥合し、又、その功力に対して肉体も環境も感応して、
遂には、祈りが叶う、という現証が、そこに顕われる、という事になります。

それを我々は「功徳」と言い、又、其の現証をもって、御本尊への尊信を更に深めていくのです。

>大聖人様は何を信じて祈れと言っているのですか?

大聖人一身の御当體である曼荼羅(御本尊)に祈りなさい、と仰せに成られています。

>それと、、掲示板で『 唱題&祈祷の違い』と指導がありました。
>この指導をもう少し詳しく教えてくれませんか?
>どうかよろしくお願いします。

唱題とは、題目(南無妙法蓮華経)を唱える、という意です。
そして、祈祷とは、その祈り自体を指します。
つまりは、神仏に対する祈祷として題目を唱える、という意が正解となります。

>ちなみに先輩からは、『本当に苦しんでいるときは己心の仏性を信じて祈りなさい!』と言われました。

いや、それは違います。

本当に苦しんでいる時こそ、御本尊に題目を唱え(唱題)、そして懸命に祈る(祈祷)のです。
そうすれば、己心の仏性も動かされて、その後の行動に影響を与えていく事でしょう。
先ずは御本尊を信じ切る。そして祈る。それこそが重要です。

>しかし、、、この後の唱題の後に、ふっと現実に帰り悩みの解決を望む&自分の願いを願う自分がいて
>落胆して今います・・・。(泣)

落胆する必要などありません。

日蓮大聖人は、それぞれの祈祷に於いては、すぐに叶う願いもあれば、後になって叶う願いもある。
と仰せに成られております。(御書全集 1242)

題目を唱えるのも現実。その後に来る悩みも現実。
その両方の現実を分ける事なく、一つの形として捉(とら)えて進んで行くことが重要です。
そうすれば必ず、解決の糸口が見えて来ます。

ともかく、焦らず、少しづつ行動して参りましょう。

尚、御本尊に祈るというも、その御本尊が創価本尊であるならば、日蓮大聖人の仏法から外れるので、
いくら祈ろうとも功力は出ません。その事だけは、先ずは知っておきましょう。

また、何か御不審な点があれば、御投稿下さい。

即答とは参りませんが、出来得るかぎりお答え致します。
 
 

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